鶴枝ヒメハルゼミ発生地とヒメハルゼミ

茂原にはヒメハルゼミという、照葉樹林だけに生息する珍しいセミの発生地があります。
その発生地とヒメハルゼミについてご紹介します。

各コーナーの内容について

ご紹介している各コーナーの記述内容は、誤りの訂正、表現の修正、追加の記述などを適宜行います。
大きな修正変更の場合を除き、履歴を明記することは、控えさせていただきます。

01.天然記念物「鶴枝ヒメハルゼミ発生地」

鶴枝について
鶴枝(つるえ)ヒメハルゼミ発生地は、茂原市南部の上永吉(かみながよし)にあります。
天然記念物に指定されたのは、1941(昭和16)年12月13日で、当時は長生郡鶴枝村に属していました。
1952(昭和27)年の茂原市誕生と共に、鶴枝村は茂原市に含まれることになりその村名は消えますが、今も、鶴枝川や鶴枝小学校にその名を伝えています。

ヒメハルゼミはこんなセミ(簡単に)

左の画像は、記念切手のデザインとなったヒメハルゼミ(オス 1977年発行)です。体長3㎝ほどの翅が透き通った小さなセミです。
太く大きな木の林に生息し、小さな体に似合わない合唱で、鳴き声は響き渡るので、実際に生息地でも、出現期にその姿を見つけることは、かなり難しいことです。

むしろ、集光性(夜間に電灯などに飛来する習性)があるので、街路などを見回ると見つけることができる可能性があります。

国の天然記念物になっていますが、もちろん、茂原市だけに生息しているわけではありません。
房総半島は北限地域の中では生息地が広範囲にあります。
生息する自然環境が整っていれば、見ることができ、東京都でも高尾山、神奈川県箱根では早雲寺に生息しています。
後にご紹介する、三重県伊勢市では市街地近くの伊勢神宮(内宮 外宮)にも、多産しています。

鶴枝ヒメハルゼミ発生地の今

八幡神社が鎮座する八幡山という小高い山全体が指定地になっています。

お祀りされている神様は、品陀和気命(ほんだわけのみこと:応神天皇)で、旧村社の格付けです。
毎年9月15日が例祭となっています。

永禄年間(1558~1569)からここに鎮座していると伝えられています。
照葉樹に覆われた八幡山の中腹に神社があり、境内周辺以外は急な斜面で、危険でもあり、林内に入るには十分な注意が必要です。
地元の方々に大切に守られ、今も厚く信仰されていることを感じます。
また、茂原長生地域は出羽三山信仰との結びつきが深いとされていますので、そのテーマは別にご紹介できたらと思います。
※出羽三山は山形県の月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)、羽黒山(はぐろさん)という、信仰の山です。

国指定のヒメハルゼミ発生地

国指定の天然記念物「ヒメハルゼミ発生地」は、北限の生息地であることが指定の理由となり、本州に他に二か所あります。

片庭ヒメハルゼミ発生地(茨城県笠間市片庭 楞厳寺(りょうごんじ)、八幡社 1934年指定)
能生ヒメハルゼミ発生地(新潟県糸魚川市能生(のう) 白山神社 1942年指定)

鶴枝を含め、神社仏閣の社叢で、人手が入らないシイ、カシなどの照葉樹林です。

模式標本の採集地
ヒメハルゼミは、1917年にセミ科の一新種として、発表がされました。そして、その際に使われた標本(「模式標本」と呼びます)は、八幡山で採集されたものです。
また、種名を表す「chibensis」(チベンシス)もここで付けられています。
一連の物語が、「広報もばら」に掲載されていますので、そのままご紹介します。

ヒメハルゼミの記載について

それまで存在が知られていなかった種の生物が発見され、それを新種として公式に発表する手順としては、ラテン語による学名と、発表研究に用いられた標本(模式標本)の写真と絵、新種であることの根拠を示す研究論文を学術雑誌や書籍に発表することで行われます。このことを、「記載」(きさい)と言います。原則的に英語での論文です。

新種の記載は、何か特別の機関に登録されるわけではなく、国際動物命名規約(ICZN:International Code of Zoological Nomenclature)の条件を満たした新種記載論文が、印刷物として公表された時点で有効となります。

ヒメハルゼミの記載は、東北帝国大学札幌農科大学の松村松年教授(まつむらしょうねん 1872(明治5)年ー1960(昭和35)年)が、「札幌博物学会報」6巻3号(1917(大正6)年5月30日刊)に掲載されたの「日本及び臺灣産の蟬並びに新種の記載に就き」という英文の論文で行われました。
この論文は、現在はwebサイトで読むことができ、写真や絵はありませんでしたが、標本データと思われる記述に、
「Hab. Honshu(Mt. Yawata in the Prov. Chiba 」
と書かれており、鶴枝八幡山で採集された標本が模式標本とされたことが確認できます。

松村松年博士は、日本の近代昆虫学の基礎を築いた「日本昆虫学の祖」と称される学者で、日本産の昆虫約1,200種の記載に携わり、日本産昆虫の命名法(和名)を考案しました。教育者としても、多くの昆虫学専門家を育成されました。

02.地元の保護活動

鶴枝小学校の活動
地元の鶴枝小学校では、毎年6月と7月の2回、3年生の恒例行事として、「ヒメハルゼミ調査」を行っています。これは、八幡山で児童が班に分かれて林に入り、ヒメハルゼミの脱け殻の数を数えるというものです。

年毎のデータは公表されているかは、確認できませんが、ニュースなどに話題として取り上げられて、読むことができた内容によると、2013年7月が47個(千葉日報)に対し、2022年の7月が9個(広報もばらNo.1137)と大幅に減っています。個体数が減少していることは、残念ですが、間違いないかと思います。

毎年、データを取り続けることは、重要なことで、ヒメハルゼミがこれからも生息し続けることに、結果としてつながるものだと考えます。どうか、安全第一で、鶴枝小学校の「ヒメハルゼミ調査」が続くようにと、願って止みません。

鶴枝ヒメハルゼミ発生地保護協議会
鶴枝小学校の調査では、毎年、サポートされています。また、生息環境を守るため、地元の協力の下で、繁殖する竹の駆除なども行っておられます。

03.房総半島のヒメハルゼミ

手元の資料に挙げられていた記録地をテロップしてみました。(かなり古い資料もあります)

カヤカヤファーマーは鶴枝八幡山と笠森寺自然林は訪ねています。

笠森寺周辺は、整備され歩きやすく、ヒメハルゼミの生息数も多く、生息時期(6月下旬から7月中旬が例年の最盛期)に赴けば、合唱を楽しむ(?)ことができます。

また、大多喜町会所の妙法生寺の生息地は、「麻綿原のヒメハルゼミ」として、1996(平成8)年に環境省(当時は環境庁)が選定した、「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。

04.ヒメハルゼミについて

ヒメハルゼミというセミとは
今、ご紹介している「ヒメハルゼミ」は、分類学上では、昆虫のセミ科のヒメハルゼミ属の一種となっています。

日本には、ヒメハルゼミ属のセミは、4種(正確には3種1亜種)が生息しています。
4種すべて日本固有種(日本だけに生息する種)です。
ヒメハルゼミ属はヒマラヤ東部から日本にかけて、20種以上が確認されています。中でも、台湾には13種(または15種)が記録され、そのすべてが台湾固有種です。

一般的には触れる機会はないと思いますので、少し遠い内容ですが、ご紹介します。

ヒメハルゼミ 学名:Euterpnosia chibensis chibensis Matsumura 1917 (原名亜種)
日本産ヒメハルゼミ属4種の中で、最も広範囲に生息している種類です。

分布:本州(関東以西)、四国、九州、伊豆大島、淡路島など一部の離島にも生息し、種子島、屋久島を経て、南西諸島の徳之島まで及んでいます。

生態:シイ、カシ類、ハゼノキ、クスノキなどから構成される常緑広葉樹林に生息し、それが限定的な環境となることから、生息地は局所的になります。

日中も断続的に鳴きますが、夕方、特に日没前後に大合唱します。

ダイトウヒメハルゼミ 学名:Euterpnosia chibensis daitoensis Matsumura 1917 (大東島亜種)
ヒメハルゼミの亜種とされていますが、色彩や生態には大きな違いがあります。
また、海洋島(一度も大陸とつながったことのない島)に分布する世界的にも珍しいセミの一種として、とても貴重な存在です。

分布:北大東島、南大東島

生態:3月~5月頃が出現期です。生息環境は、ヒメハルゼミとは全く異なり、海岸近くの岩礁地帯のアダン、ススキ、クサトベラ、シマグワなどに生息し、地上や草上にも止まって鳴きます。やはり、夕方に大合唱します。

画像が小さくて分かりにくいのですが、ヒメハルゼミに比べ、胸部の色の黒味が強く、紋様があまり出ません。

農薬などの影響で一時は絶滅したとされていましたが、1982年に南大東島で再発見されました。
島の開墾が始まった時にどこかから植物とともに持ち込まれたとされています。
しかし、その一方で、DNA解析によると、本亜種ヒメハルゼミの鹿児島県奄美群島の徳之島産に近いという結果が出ており、徳之島から飛来した個体が定着し、さらに分化したと語る研究者もおられます。
また、南北両島それぞれの個体のDNA解析を比べても、両島の個体の間に差が出ています。

下の▶をクリックして頂くと、ダイトウヒメハルゼミの合唱をお聴きいただけます。

オキナワヒメハルゼミ 学名:Euterpnosia okinawana Ishihara 1968
ヒメハルゼミに非常に似ていて、一時は1亜種とされたこともありますが、その後の研究で、DNA解析上の差などに、一種レベルの違いがあるということで、2011年に再び独立種とするように提唱されています。
今ここでは、「改訂版 日本産セミ科図鑑」(2015年刊)に従って、独立種として、ご紹介させて頂きます。

分布:沖永良部島、沖縄本島(本部半島を含む中部以北)、伊平屋島、渡嘉敷島、久米島

生態:5月~7月頃が出現期で、山間部のスダジイ林に発生します。ヒメハルゼミに比べ、鳴き声のテンポが早いのが特徴です。このことは、独立種とされた際のポイントの一つです。

夕方が合唱のピークになるのは、他のヒメハルゼミと同じですが、最盛期には午前中から合唱が聞かれ、ほぼ一日中どこかで鳴いているようなこともあります。

下の▶をクリックして頂くと、オキナワヒメハルゼミの合唱をお聴きいただけます。

イワサキヒメハルゼミ 学名:Euterpnosia iwasakii ( Matsumura 1913)
ヒメハルゼミより一歩早く、種として記載されました。
台湾産のアオツラヒメハルゼミ(Euterpnosia viridifrons Matsumura)に遺伝的に近い種類とされています。

分布:八重山諸島(石垣島、西表島、与那国島)

生態:4月~8月上旬頃が出現期で、他のヒメハルゼミより長期間現われます。山間の森に生息し、早朝と夕方に合唱しますが、曇りの時も大合唱します。
ヒメハルゼミよりゆっくりとした低音の鳴き声で、実際に聞くと、八重山のジャングルに重く響き渡り、曇りの天候だったこともあり、それは少し不気味にさえ感じました。

和名と学名に使われている「イワサキ/iwasakii」は、気象観測技術者で石垣島測候所第2代所長の岩崎卓爾氏(いわさきたくじ1869(明治2)年ー1937(昭和12)年)に因んで付けられました。気象観測はもとより、八重山や台湾の生物、歴史文化、教育など多くの分野で功績を残されました。
「イワサキ」が付けられたセミは、他にイワサキゼミ(ツクツクボウシ属)とイワサキクサゼミ(クサゼミ属)が日本に生息しています。

下の▶をクリックして頂くと、イワサキヒメハルゼミの合唱をお聴きいただけます。

ダイトウヒメハルゼミ、オキナワヒメハルゼミ、イワサキヒメハルゼミの鳴き声のご紹介は、新星出版さんの「沖縄のセミ全19種」に付属のCDから借用させて頂きました。

書籍の画像のセミは、沖縄本島固有種のクロイワゼミです。

日本産ヒメハルゼミ属の学名

チコリーの学名について、長々とご紹介しましたが、この機会に昆虫の例として、ヒメハルゼミ属の学名についてなるべく簡潔にお伝えします。

この4種からなる日本のヒメハルゼミ属ですが、種名表示の基本的な形になっているのは、オキナワヒメハルゼミだけです。きわめてシンプルな形で「属名+種小名」の二名法で表現し、ラテン語のイタリック体で記述するそのものです。
学名の種名というのは、「属名+種小名」で成立するもので、命名者は種名とは区別する意味で、ローマン体(ブロック体)で表し、記載年号も明記することも、図鑑など以外にはあまり必要がない項目でした。

亜種の存在があるときは三名法になります
ヒメハルゼミとダイトウヒメハルゼミとは、原名亜種(基亜種、原亜種)と大東島亜種との関係にあります。
1917年の時点で、両方の種類が記載され、広範囲に生息していたヒメハルゼミに、「chibensis(千葉の)」という種小名が与えられ、その別地域バージョンとしての、ダイトウヒメハルゼミには「chibensis+daitoensis(大東島の)」という種名が与えられました。この、「daitoensis」は「亜種小名」と言います。
原名亜種の亜種小名には、種小名をそのまま使うため、ヒメハルゼミの種名は「chibensis chibensis」となります。

イワサキヒメハルゼミの命名者と記載年号の()
イワサキヒメハルゼミは、全く別の属名「Purana」で1913年に松村教授自身が発表し、記載されました。
そして、1917年に、属名を「Euterpnosia」に変更しています。この、変更が(カッコ)で囲む理由です。

イワサキヒメハルゼミの変更の理由は分かりませんが、実は、このようなことは珍しいことではありませんでした。
記載した属名が全く別の生物に既に使われており、その場合、先取権は先に記載された生物にあります。
最近はデータベースが整っているかと思いますので、減っているかも知れません。

やはり、長くなってしまいました。申し訳ありません。

長くなったついでに、余計なことを申し上げますと、「千葉の」を「chibensis」と綴ることができたのは、種小名が地名由来で、ローマ字読みが可能だったからによります。ラテン語の発音では、「チ」とは読めず、「キ」になります。

05.羽化の観察記録

ヒメハルゼミの羽化に出会ったことがあります。その時の画像をまとめてみました。

思うに、日本のヒメハルゼミ属4種のセールスポイントは、「合唱」です。しかし、その「合唱」は、遠くまで聞こえても、セミの鳴き声というより、一般的には、関心も持たれない正体不明の「雑音」なのではと思います。

06.ヒメハルゼミの伝説

ヒメハルゼミにまつわる伝説が、茨城県笠間市の「片庭ヒメハルゼミ発生地」に伝わっています。
この伝説は、日本の昆虫学の歴史に大きな足跡を残した、加藤正世博士(1898(明治31)年-1967(昭和42)年)が著わされた「少年の観察と実験文庫46 せみの研究」に掲載されています。
画像でご紹介します。

この書籍はデジタル化されて、国立国会図書館オンライン(NDL ONLINE)で閲覧可能です。1964(昭和39)年に発行された新版にはこの伝説は掲載されていません。
今もこの伝説は笠間の現地に伝わっているようですが、ストーリー的な形では確認できません。
万事に器用だったと伝わる加藤博士が、臨場感あふれる物語風に仕立て、掲載したものだと思います。